クヒオ大佐(2回目)

2回目でやーっと色々と腑に落ちましたよ。
もう一度見て良かったです。
見る前に読んだ監督のインタビューに「ラブストーリーだと思って撮った」とあって、それで受けとめ方が変わって良かったのかも。
初回を見る前に把握していた情報は「詐欺師のコメディ」「ちょっとシュール?」だったので、コンゲーム的なモノかと思っていたのですが、そういう意味での痛快さは全く無いですよね。(だから、どう受けとめていいのかわからず混乱したんですけど)
詐欺師映画の面白さって「上手く騙し騙される快感」にあると思うんですが、大佐は全く上手くないので痛快さを期待して見に行くと肩透かしをくらってしまいます。むしろ、必死に自分を騙して生きている男とそれを愛した女のラブストーリーだから、いたたまれなくて切ないんですよねぇ…。
冒頭の第一部は日米関係の暗喩…というよりも、「大佐がアメリカ人になりたかったのは何故か?」を描くためのもので、第二部のラストに繋がっているんでしょうね。
また、終盤の展開が何でああいう混乱した感じなのか最初は謎だったんですけど、途中から本当の現実ではなくクヒオ大佐の見ている“現実”に切り替わっているんですよね。2回目でやっと「切り替えポイント」が把握できましたよ。この切り替えがあまりにも自然に前触れもなく行われるので、最初は幻想と現実の区別がつかず混乱してしまった訳ですが、それが監督の思う壺だったのかもしれませんね。自分が幻想に逃避していることをさえ認識(自覚)できない混乱状態が、まさしく大佐の体感している現実なのかも。
観客は騙される女性側の視点から同調していって、最後は大佐本人が見ている世界を疑似体験して終わる。興味深かったです。
しのぶさんがヘリに敬礼するのは、彼女だけが大佐と同じ世界を見てあげてたから…。やっぱり愛の物語ですな。
大佐は常に妄想に片足突っ込んでて、受け入れられない現実から逃避して生きている。それではまともな仕事に就くことが難しいのだと理解できます。誰かから“お小遣い”を貰って生きていくしかない訳だ。気持ちよくお金を出してもらうために、相手が望むようなちょっとした嘘をつく。父親を連想させるような高圧的な大人の男の前では萎縮してしまうから、騙す相手は女性に限られる。女性と付き合い、相手の望む幸せを餌に金を引き出して逃げると、結婚詐欺になる。映画の大佐はこういう感じだと思うんですけど、実在の方は今どうやって生計を立ててるんでしょうね?
とにかく、自分の見たものがどういうことだったのか、それなりに理解できて良かったです。ノーカントリーも見終わった後、イマイチ把握しきれずに「私、日本人だから共感できないのかな…」とちょっと放棄したんですけど、もう一度見直したら印象が違うのかもしれませんね。



ところで、(500)日のサマーという映画の予告編に、どう見てもドクター・リード@クリミナル・マインドがいた気が…。一瞬だったけど、あの声はドクター・リードでしたわ。他の仕事もしてるんですね。なんか嬉しい。